雑記 in hibernation

頭の整理と備忘録

SLAM DUNKを読んだ

今更ですが読みました。読後の所感を書き散らします。ネタバレありです。


桜木にとっての「バスケットマン・ライジング」

脚本においてログラインという概念があります。スラムダンクのストーリーををログラインにまとめるならば、「一目惚れした女の子に気に入られたい一心でバスケットボール部に入部した不良高校生の桜木花道が、一癖あるチームメイトと切磋琢磨する中でバスケットボールを愛する本物の”バスケットマン”になる物語」と言えましょう。海南戦の試合終了後に見せる悔し涙が読者の心を打つのは、彼が本気で競技に打ち込み始めたことの表れだったからです。僕は、一話で”スラムダンク”についての説明があるくらいだから、最後は派手なダンクで締めてタイトル回収するのかな、などと勝手に思っていたのですが、山王戦クライマックスで最後の一投は「左手はそえるだけ」のシュート。僕はここに言いようのない感動を覚えました。その理由を考えるに、この地味なシュートこそ反復練習の賜物であり、本人が「シュート練習は楽しかった」と語るように、練習に打ち込むことの楽しさに芽生えた、その原点だったからではないでしょうか。


ゴリにとってのクライマックス

ゴリ(赤木)は、もう一人の主人公と言って差し支えない比重で活躍が描かれます。しかし、やはり主人公ではあり得ません。なぜかというと、本作の開始時点でゴリの努力や葛藤のフェーズは概ね終了していて、「最後にパズルのピースが揃う」フェーズに入っているからです。つまり、ゴリが全国制覇を目指す物語は作品が開始する2年前からすでに始まっていて、2年の間に紆余曲折があり(一部は回想で触れられます)、その物語のクライマックスのみがスラムダンクという作品の中でリアルタイムに描かれているのです。ですから、作品の時系列とゴリのストーリーは一致しておらず、やはり幕開けから幕引きがイコール自らの成長の物語と完全に一致する桜木こそが本作の主人公です。

しかし、もしもスラムダンクが、主人公が天性のセンスで急成長して、新しく入部した部員にも恵まれて、3年間弛まぬ努力を続けてきた強豪たちを都合よく薙ぎ倒していくだけのストーリーだとしたら、作品に対してこれほどポジティブな印象を持てていたでしょうか。主人公・ひいては湘北の活躍に強く感情移入できたのは、ゴリの存在が大きかったように感じます。読者の誰もが好きにならずにはいられないゴリという漢、その悲願をどうか達成してほしい、達成させてやってほしい、そんな気持ちで桜木をはじめとしたメンバーを応援していた読者は僕だけじゃあないと思います。物語の主軸である人間としての成長のストーリーと、読者の興味を惹きつけるための感情移入の役割とを、別個の登場人物に割り振るという少し捻った構造が見えてきます。

ところで、ゴリは全国制覇を目標に掲げていましたが、実のところその根底にある願いは「全国制覇を共に目指せる仲間とプレーしたい」ということでした。全国制覇こそ叶わなかった彼ですが、山王戦に勝利を収めた後の記念写真こそ、まさしくゴリが3年間を費やして追い求めたものでした。彼の物語は文句なしのハッピーエンドで幕を閉じています。


木暮なくして湘北なし

「全国制覇を共に目指せる仲間とプレーしたい」というゴリの願いは、同時に木暮の悲願でもありました。ゴリが不遇の2年間を乗り越えることができたのは、目標を同じくする理解者の木暮が側にいたからです。その点で、木暮は湘北の影の立役者。というか、比喩でもなんでもなく、まさに文字通りの意味で「木暮なくして湘北なし」です。

後でも触れますが、類まれな素質を持ったプレーヤーが跋扈する競技世界で、個人的にはどうしても「努力した持たざる者」として描かれるキャラクターたちにこそ感情移入してしまいます。木暮にもその側面があり、陵南戦の3Pシュートと相手監督からの「あいつも3年間がんばってきた男なんだ」という賛辞は、まさしく「持たざる者」が一矢報いる名場面であり、僕も最も好きなシーンの一つです。しかしながら、木暮の真の魅力とは、ゴリの理解者として3年間目標を共に練習を重ね、結果的に彼の支えとなったことで「試合に出なくとも、点を取らなくとも、別の形でチームに貢献することはできる」という、より深い意味での「チームプレー」を体現したことではないでしょうか。


マイナスからゼロへ進む三井

僕は、最初こそ三井のことが好きになれませんでした。本人なりの事情があるとは言え、ヤンキー崩れ(しかも前歯もないし喧嘩も弱い)でバスケ部に多大な迷惑をかけた卑劣漢の癖に、復帰した途端に昔取った杵柄でちゃっかりスタメンに落ち着いたクソ野郎ofクソ野郎だからです。しかし、ポカリのプルタブを親指で開ける件のシーンに代表されるように、ブランク期間の後悔を拭えずに葛藤する様が描かれるようになってからは、僕の三井に対する感情は俄然ポジティブなものに変わっていきました。湘北スタメンの中で、三井だけはマイナスから始まってゼロに向かっていく物語である点が特徴的です。ブランクゆえのスタミナ不足に終始悩まされる三井が、山王戦では己のスタミナの限界を超えたプレーで過去の幻想もまた乗り越える。三井こそ、主人公の桜木に次いで作品を通して最も成長した人物と言えます。

三井絡みでは、個人的には残念に思う点もあります。それは翔陽戦のVS長谷川です。長谷川は、中学時代は無名ながらも、高校の2年間で実力をつけた、三井とは対照的な人物です。願わくば、自ら宣言した「三井の得点は5点に以内に抑える」を達成して矜持を見せつけてほしかったですし、自分と正反対のプレーヤーに敗北を喫して悔しい思いをしてこそ、三井の葛藤がより際立ったのでは、とも思います。


語られなかった二人

湘北スタメンの中で、ストーリー中で物語が描かれなかった、あるいは完結しなかったメンバーが2人います。

一人目は流川です。桜木との関係性以外では内面の掘り下げはほぼなく、基本的には競技者としての成長に的が絞られているように見えます。そして彼の目標は「日本一の選手になること」ですから、作中でその物語は完結していません。山王戦のVS沢北でさえ、選手としての成長の通過点の意味しかありませんでした(選手としての大きな成長の一つにはなっていましたが)。

もう一人は宮城リョータで、入部のきっかけ以外にパーソナルな掘り下げはほぼありません。また、入部のきっかけであり目標とも言える彩子との関係性も、大きな進展は見せません。

この二人こそ、スラムダンクにおける空白であり、「語りしろ」として残された部分です。


持たざる者たち

作中では、生来の高いポテンシャルを持った選手が目覚ましい活躍を見せる隙間で、フィジカルやセンスに恵まれないながらも、弛まぬ努力でユニフォームを勝ち取った「持たざる者」達の健闘も描かれます。中でも印象的なのは、南海大付属の神と宮益です。特に宮益は入部時点でバスケ初心者かつ小柄(調べてみたら、学生時代に「せのじゅん」では常に最前列をキープしていた僕よりも低身長、かつ体重も軽い!)ながら海南の厳しい練習に耐え抜き、控え選手の座と部員からの大きな信頼を獲得。湘北戦でも自チームの得点に大きく貢献します。

厳しい現実ではありますが、競技世界において、持って生まれた諸々がパフォーマンスに大きな比重を占めることは否定できません。実のところ、これを最も露骨に体現していたのが、湘北のスタメンでした。それに対して、ライバルである県内最強の海南大付属こそが「天才だらけの庭に努力で挑む持たざる者」としての側面を担っているという、面白い構図があります。ところで、僕には僕自身が「持たざる者」ゆえ、そちら側に対して圧倒的に感情移入してしまう癖があります。それでもなお湘北を応援できたのは、湘北の物語の中心がゴリにあり、「天才達がセンスで無双する話」ではなく「ゴリと木暮の2年間の努力に最後のピース(一緒に全国を目指す仲間)が揃う話」だったからだと思います。


試合のリズムと漫画のリズム

僕はそれほど漫画というジャンルに精通しているわけではありません。しかし、それでもはっきりとわかることがあります。牧や仙道といった作中の強者たちが試合を動かすとき、彼らが漫画のリズムをも支配し、強烈な緩急を読者の肌身に感じさせること、これは間違いなく井上雄彦先生の表現力と、そして競技への理解の深さがあってのものだということです。山王戦のクライマックスは、セリフもない、説明もない、コマの応酬です。そのコマからコマへの流れに、紙面全体に、息をもつかせぬスピーディな展開から永遠にも思えるような息を呑む一瞬まで、映像以上の迫力を持って超現実的な時間の流れが感じられる。漫画表現の魔法だと思いました。読んでいる瞬間の、あの感覚を、興奮を、形容する言葉が見つからない。まさしく"Sense of Wonder"に溢れた傑作でした。


一旦以上です。読み返して気が変わったら適宜加筆修正するかもです。