雑記 in hibernation

頭の整理と備忘録

本の話 - その2. 読書会にいこう編

こちらの続きです。

toeming.hatenablog.com


本を嫌い、ひょっとしたら本にも嫌われているかもしれない僕ですが、なんの因果か読書会に誘われてしまいました。

自宅の、僕がほぼ自室として使っている一室には、壁一面を埋める大きさの本棚があります。ちょうど一年ほど前に今の家に引越した際、前の家で収納しきれずに溢れていた本を収めるために注文したものです。引越し祝いも兼ねて新居に遊びに来た友人が、その本棚を眺め、「金持ち父さん」があるね、といったことに少し触れた後で、僕を読書会に誘ってくれたのでした。意外と読書に抵抗のない人間と思われたか、そんなことは関係なく誰かしらお誘いしたかったのか。実際のところ本棚を埋めている書籍のほとんどが妻の積読ですから、前者であればとんだ見当違いです。誘われた時は、正直に言って面倒だと思いました。理由は言わずもがな、生来の読書嫌いです。しかし一方で、参加するに足る動機もありました。裏を返せば、自分の行動規範に沿って生活している限りでは絶対に得られない経験であり、貴重な機会だとも思ったのです。

だから読書会の当日、運営の方に参加理由を尋ねられて、そんな事情を馬鹿正直に答えたのでした。誘われない限り絶対行かないから。そんな理由で参加した人は見たことがないと返されて、ド平凡故に少しでも変わり者だと思われたい僕は満更でもない気分でした。その読書会は、確か2022年に年が明けてすぐの頃だったと思います。集まりは週に1度だか2度だかの頻度で、ずいぶん早い(夜型、というか昼夜逆転型の僕が、普段なら「そろそろ寝るか」と思い始めるような)時間帯に東京都心の小さな公民館の一室を貸し切って開催されていました。具体的な人数規模は覚えていませんが、その小さな公民館の一室が侘しく感じないくらいの人数が参加していました。参加者は3~5人くらいのグループに分けられて、各自が読んだ書籍の紹介をし、続けて侃侃諤諤の会話を広げていくような形式です。ビジネス系の読書会だったため、選書においては一応の課題図書が設定されていました。そして、参加者は読書会の度に課題図書をクリアして徳を高めていくシステムのようでした。事前に共有されていた課題図書に対して今ひとつ興味を持てなかった僕は、「はて?ビジネス書とは一体なんぞや?」みたいなツラして全ての事前情報を無視。ビジネスにも自己成長にもさして役には立たないであろう、しかし世界の見方はちょっとだけ変わるかもしれない、そんな新書を持っていくことにしました。

【個人的まとめ】実存と構造 - 雑記 in hibernation


※ここまで読んで、何か感づかれる方もいらっしゃいますでしょう。僕も少しばかり違和感を持ち、そして事前にわかっている範囲の情報で下調べをして、その上で参加しました。「読書会に参加する」という目的以外、誰が開催しているのか、「徳」を積んだ先に何が待っているのか、はたまたそれらは全て邪推で下衆の勘繰りに過ぎないのか、といった諸々は、僕にとってはどうでも良いことでした。


さて、参加してみた感想ですが、結論から言うと有意義な時間だったと思います。良かった点を下に列挙してみます。

  • 話し手として

    • 本の内容を構造的に理解・整理するきっかけになる
    • 自分が読んだ本に対する第三者の意見を聞き、視点を広げることができる
    • 自分の興味がある領域に他人を引き摺り込んで会話できる
    • 無理矢理にでも本を読むきっかけになる(無理矢理にでも本を読む必要があるのか?という別の論点はあるにせよ、、、)
  • 聞き手として

    • 興味外の書籍の概要がわかる。感想を聞くことができる。読むきっかけになる
    • 興味外のトピックについて会話する、考えるきっかけになる

「いいじゃない、読書会」と素直な感想を抱きました。僕の読書のペースだと毎週は辛いけど、月1とかなら無理なく参加できるかも、と思いました。それにも関わらず、これ以降僕はこの読書会には参加していません。せっかく誘ってくれた友人には申し訳ないと思いつつ、not for meであることを伝え、それ以降この読書会には関わっていません。理由は、その内容が、僕が読書会に期待していたものと少し違ったからです。

僕が読書会に期待していたのは、一言で言えば多様性でした。価値観の異なる各々が、それぞれ趣味全開の書籍を持ち寄る。であれば、当然そこで議論される会話には収斂すべき方向性も存在せず、議論はひたすらに発散していくでしょう。各々はその発散していく会話の断片から、自分にない視点や気づきを拾い上げて勝手にお持ち帰りすればそれで良し。僕が期待していたのは、そのような多様性と発散の場でした。しかし、実際に僕が参加した集まりは少し違いました。

その違和感を敢えて曖昧な感覚のまま言葉にするのであれば、それは、なんというか、「正解」がある読書会でした。そもそも先述の通り「課題図書」が存在していて、この時点で選書の多様性、「それぞれの趣味全開の書籍を持ち寄る」は望めません。一応、課題図書以外の選書も許されてはいるのですが、題材としては概ね似たようなビジネス書や自己啓発的なジャンルの書籍が選ばれていたように(また選ぶことを期待されていたように)感じました(ただ、これについてはそもそもがビジネス系の読書会なので、仕方ないと言えばそれまでです)。 また、書籍を紹介した後の議論では、主にファシリテータの質問や総括を節として会話が進むことが多かったように思います。進行役が存在すること自体は否定しませんし、むしろ有意義だと思います。初めての参加者の中には、積極的に整理された意見を言うことが難しい人(=まさに僕です)もいることでしょう。各グループにそのような参加者をフォローをする役目を置き、実際にそれが機能している点では、むしろ運営の丁寧さにポジティブな印象を受けました。しかし、場面場面で議論に介入し、要約し、ある種の結論へ向けた方向づけをしていく進め方は、僕の期待していたものとは乖離がありました。ぶっちゃけた話、ざっくばらんに言えば「課題図書として同じような本を取り上げて同じように総括してたら毎回同じ議論の繰り返しになんね?」と思いました。僕がしたかったのは、もっとこう、答えのない、どこに辿り着くかもわからない、取り止めもない議論でした。誰もコントロールしていないから、どこに向かっているのかもわからず、しかしそれ故に自力では辿り着けないどこかに連れ出してくれる。各々の指先の力加減と集団心理とが絶妙に作用して10円玉がフラフラと動き出す「こっくりさん」ような力場。その裏で、実は誰かが指先に強い力を込めて10円玉の軌道を操作していたなら(そして、そんなことはないと思いますが、もしもこっくりさんに自身の恣意的なメッセージを代弁させていたなら)、これほど白けることはありません。

そんな具合に、今ひとつ読書会に馴染むことはできませんでしたが、自分が知らない世界、知らないコミュニティ、そこにある価値観を知ることができたという意味では、とても貴重な経験でした。


こちらに続きます。

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